モタコさん美しかった。
EHとACこそこの映画でのNEU、本編でACの爆音シーンほしかった!
阿修羅は釈迦の命を狙って息を潜めている時、その説法を聞いて目醒め、
弟子になった。神輿担手の命を狙っている時、その神祭楽に目醒め血まみ
れで護符を受ける寺田の顔は興福寺の阿修羅似。
山塚アイ(BOREDOMS)
*EH=EREKTRO HUMANGEL、AC=ABRAHAM CROSS
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ゾンビ目線のゾンビ映画、として楽しみました。いまだ強力な結界に守られた、
イキのいいゾンビが多い街、京都だからこそ、ラストのカタルシスが倍増します。
堀部篤史(恵文社一乗寺店)
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柴田監督が目指しているのは映画の「非常階段」かもしれないと思った。ノイズ
のように映像とストーリーと音楽が交錯しながら”着地点”というエンディングを
目指すこの「堀川中立売」は、映画が日本のアンダーグラウンド音楽と対等に存
在する貴重な1本のフィルムだろう。この暴力とセンチメンタリズム、いいと思
います!
JOJO広重(非常階段)
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若い世代の映画にずっと脅威を感じられずにいた。異なる血ではなく、すでに
知っている血としか思えなかったからだろう。ひょっとしたら一つの時代を生
きてしまった者の眼には、異なる血は常に文化の衰退という形にしか映らず、
自分は特殊な歴史段階にいるかのような錯覚しか得られないのではないかと考
え込んだりした。だがこの映画は紛れもなく異なる血であった。ここで示され
るパラレルな世界観は選びとられた意匠ではない。これが「映画」であるとい
う了解の外側から起爆したものだ。人間の手で作られたと観客に感じさせない
こと。ワンカット、ワンカットがそこから撮られている。
高橋洋(映画監督・脚本家)
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今日、地球という巨大な「糞壺」ん中で
俺達は糞に塗れながら、
真っ赤に輝けるメルヘンに生きるのだ。
尻を丸出しにして、走って、走って、踊って、踊って、
そして、どっかで、ぷっつり、死ぬ。
吉野寿(eastern youth)
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ブリブリブリブリっとバイクの排気音を轟かせて、霊柩車が走る。
しかし爆走するわけでも呪いを振りまき走るわけではない。
当たり前のようにウロウロと町中を徘徊するのである。
もはや生と死の境目はなく誰もが曖昧な境界線上をごく普通に生きている。
そんなことの証なのだろうか。その霊柩車の存在の当たり前さに唯一異和を放
つブリブリというバイクの排気音が、かつてそこにあったものの遠い木霊のよ
うに響き渡る閉ざされた町。それが「堀川中立売」という場所であるのだろう。
したがってそこでは誰も「外」を夢見ない。
外部へ繋がるはずのネットワークはネットワーク故に外部を閉ざしそれを内部
へと反転するばかりである。だからアクションもない。カットはカットとなら
ずダラダラと時間を遅延させ、そのモヤモヤは当然のようにスクリーンのこち
ら側の日常へも浸透してくるだろう。
今ここにいることが今ここと繋がらない柔らかな閉塞感は、スクリーンという
境界線をも曖昧にするのである。
しかし境界線はある。この映画の音楽とバイクの音の強さがそれを伝える。霞
んだ視界の彼方から聞こえてくるそれらだけが、世界の構造を私たちに指し示
すだろう。
私たちはこの曖昧な世界の中で、耳を目にして新たな一歩を踏み出すべきだ。
樋口泰人(boid主宰・批評家)
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様々な深い問題が、あたかも問題でない様に
垂れながされたまま存在するが、
最後にそれらがつながり合い絡みあい反乱を起こしている。
この創り方はショックかつ意欲的な演出スタイルだ。
渡辺文樹(映画監督)
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今作で柴田監督は、ある意味で映画の新しい語り口を作ってみせた。
力技で強引であるが、この新しい話法によって時空を超えてみせる。
音楽でいえばDUBに通じる、身体と頭に染み込んで離れない必見作である。
わたなべりんたろう(ライター)
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全く理解ができない。
堀川中立売の世界に流れる空気、人間関係、ストーリー展開、それぞれの
キャラクターの言動、どれもが私の理解の範疇にないものだった。
それでいて、不安と爽快さ、悪意とかわいらしさなど訳の分からない
組み合わせの感覚が同時に襲ってくる。
画面を占拠する様々なイメージがシミのように 記憶に染み付いてしまった。
束芋(現代美術アーティスト)
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【『堀川中立売』各所でのレビューや感想】
▼映画芸術web【試写室だより】
…萩原亮(映画批評家)
▼HogaHolic【10人が語る★堀川中立売】
…森直人(ライター)・小原治(ポレポレ東中野スタッフ)・那須千里(ライター)・井手健介(吉祥寺バウスシアタースタッフ)・暉峻創三(映画評論家)・西尾孔志(映画監督)・大槻貴宏(ポレポレ東中野支配人)・佐藤佐吉(映画監督)・宇田川幸洋(評論家)
▼web DICE【『堀川中立売』クロスレビュー】
…10月8日試写会参加者(一般客3名)
▼REAL TOKYO【トピックス欄】
…松丸亜希子
▼coco【ツイッター上での映画の感想をまとめたサイト】
(敬称略)
■ DOMAN SEMAN(『堀川中立売』)海外レビュー集
100人観たら100通りの世界が広がる本作。
他の人がどう観たかを読んでみるのもまた楽し。
皆さんのコメントをお寄せください!
下部から感想やコメントを書き込んでいただけます!
↓↓↓
先日吉祥寺バウスシアター爆音上映で本作を拝見しました。一言で言うと、とても面白かったです。
もともと京都には、狂気が渦巻き易いのでしょう。だからこそ、寺社仏閣がいまだにいくつも鎮座して、その狂気の発散を抑えている。けれど実は、あの濃密な空間の、ほんの一枚壁の向こうには、今作で戯画化されたような混沌が息をひそめています。
前半のギャグも、全て狂気と紙一重、笑えない人には全く笑えないでしょう。自分はかなり笑いました。
そして、作品を通じた、一貫したテーマ。この作品をつまらないと切り捨てた人は、さぞや素晴らしい“視聴者”だったのでしょうね。自分は、寺田青年が、家に入り、バスタオルを持ってくる時の閉まった扉の大写しに、“つまらんカットだなあ”と思い、そしてその考えに慄然としました。今の今までさんざネタにされ、蹴散らされた、加藤TVの視聴者は、まさに私たちだったのです!
画面を越えて観客を巻き込む、それは決して、良い意味ではなかったのですね。こんな方法は、ほとんど反則だと思いましたが、こう言った構造的なトリックは、自分は大好きですし、映画と言うモノの可能性を垣間見せてくれた感じがしました。
右も左も猫も杓子も、ぐじゃぐじゃと短いカットの乱発は、しかし、意味があり、つながりがあった、何より強い意図の下にあったと思います。音楽も素晴らしかった!
自分はこの作品が大好きですし、このテイストが理解されないのは悲しく思います。もっとこんな刺激的で、なおかつ思索的な作品が増えれば良いのに! と願ってやみません。
強い感動の下、長々と感想を書いてしまい、申し訳ありませんでした。柴田監督にはこれからも挑戦を続けて頂きたく、また、シマフィルムには、こう言った素晴らしい作品を生み出す土壌を広げて頂きたく存じます。
それでは、失礼します。
例えるなら、堀川中立売とは一個の乱調の音楽である。
上映開始から30分、すでに堀川中立売の、その奇矯なイメージの羅列のような迷宮的世界に悶えていた私は、漸くそのことに気付いた。
「これは観るように観る映画ではなく、聴くように観る映画なのだ」
柴田剛監督の映画にはいわゆるロジックと呼ばれるものが欠如している。そのかわり、そこにはアナログの世界が広がっている。美しい音楽があり、豊饒なイメージがある。無意識の言葉があり、宇宙的郷愁がある。言うなれば、柴田剛とはイメージの縫合師である。
本を生業にし、ロジックに頼らざるをえない者としては、ひとえに羨望せざるをえない。
これほどまでに愛にあふれた映画をみたことがあったろうか
見終わってまだ自分の中にふつふつわき上がる
イメージのマグマのような熱さ
しょーもなさを肯定して
きれいな京都の路地裏を行く、ご当地映画の極み
きれいな社会に飼いならされた脳みそをシェイクする教育映画かも?
観る観客を信じたい、信じているといわんばかりに
うんちくはいっさいたれず
ただリズム、美しい絵、自分の鼓動が刻むビートに身を任せるための123分45秒
この映画を見逃したらあかん
Pingback: eastern youth 吉野さんからコメントをいただきました。 | horikawanakatachiuri_info
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堀川中立売のヴィーガンカフェ『モルフォカフェ』です。
以前お店までポスターを持ってきていただきまして本当にありがとうございました。
その際に映画と当店で何かコラボレーション的なものが作れたらというお話をさせて
いただいておりましたが、『御所キノコ』をイメージしたクッキーやオブジェを作りましたので
ご報告させていただきます。
クッキーも展示用のものですが、現在店内の各所に展示中です。
ブログにも掲載しておりますので、よろしければご覧下さい。
スタッフ一同、映画の公開を楽しみにしております!
いろんなくみあわせでできあがるこのせかいと
それをてきおうにおうじてへんかさせてきた
いでんしがみらいをよそうできぬように
ふかくじつなかんれいせいはいくとうりもの
よみまちがいでこそうまれつづけてきたいまげんざい
このよそつぎのよそのまたつぎのよまたまたつぎのよが
おなじくみあわせであるばあいはないにひとしいが
いくとうりもあるかのうせいのなかに
0
とはいいきれぬぐぜんさんぶつの
われわれのしこうはやはりかとうなづける
かんれいせいはここにもそんざいしている
じじつをかくしんしたわかりやすいえいが
たいへんしげきをうけたばところは
そくどかんのへんそくてきこうかははもとより
いみありげなこうづからこうづへのうつりかわりが
げんじつにいまあるうそのようなほんとのはなし
のようにはじまりへしたがっていくはてには
なにがあるかわかるとはいいきれぬ
加藤タワー
のみらいかんがたいへんすきでした。
竜巻太郎!!