柴田剛(左)、宮台真司さん(右)
レポート:劇場トーク:vol.04【『堀川中立売』のノイズと音風景】
2010年12月13日(月)@ポレポレ東中野
宮台真司さん(社会学者)× 柴田剛(『堀川中立売』監督)
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宮台真司(以下、宮):10年ぶりですね。
柴田剛(以下、柴):緊張してます(笑)。 最初に10年前のことを話しておきますと、僕が大阪芸大の卒業制作作品として監督した最初の長編作品『NN-891102』を、2000年8月にシネマ下北沢で公開するために大阪から東京の阿佐ヶ谷に引越してきたんですね。 友人が阿佐ヶ谷に持っていた倉庫を借りて、16mm映写機とスピーカーを持ち込んで、寝泊りしながら、映画を観てほしい人たちを招いてその倉庫で上映して、コメントをもらおうという宣伝活動をしていたんです。 そこで頂いた著名な方々のコメントをチラシに掲載させてもらって、おかげでお客さんも沢山入ったんですよね。コメントをいただいた方々の中でも、宮台さんにはものすごい分量の文章を『NN-891102』のために寄せていただいたんです。 その節はありがとうございました。
宮:いえいえ、こちらこそ。あの作品は、デビュー作ということでしたよね? 今回の作品を改めて拝見して、デビュー作のテイストを思い出しましたね。 というのは、柴田監督作品の特徴としてシンプルな話をノイズで汚しちゃうというところが挙げられると思うんですよ。 今回の映画も、少年時代にサラ金業者をブチ殺した青年の物語があって、その一方に、安倍晴明を思わせる“安倍さん”という人物に操られる式神たちが、資本主義の権化ともいえる妖怪と戦うという話がある。それぞれシンプルな話なんですけど、グッシャグシャになってるんで、事情を知らない人は面食らうだろうなと。 ちなみに僕はノイズミュージックが好きなんですよ。関西にアルケミーレコードというレーベルがあって、ハナタラシとか、非常階段とか、全部、関西系のバンドですよね。
柴:そうですね。
宮:柴田監督の作品からは、そういう音楽のテイストを思い出すんですよね。 ノイズバンドを受け付ける人と受け付けない人がいると思うんだけど、「ノイズミュージックってどうして享受可能なのかなぁ…」ということをここに来るまでずっと考えていたんです。 今回『堀川中立売』を観て、答えが出ましたね。
柴:おっ! (客席に向かって)どうですか? 教えてください!
宮:それはね、実は今日、『ノルウェイの森』を観てきたんですよ。 映画の中で60年代の音楽がたくさん使用されてるんですけど、その中に、一部、ノイズミュージックも作っていたCanの楽曲も使われていまして。 僕の好きなバンドでもあるんですけど。
柴:ダモ鈴木さんも所属してましたよね。
宮:そうそう。 ダモ鈴木がボーカルの曲も映画の中に使われていたんですけど、当時のロックリスナーの間では、CanとFaustのどちらを支持するのか、分かれていたんです。 Canというのは、わかりやすいノイズ系というのかなぁ…つまり情念や内発的なエネルギーを音の暴力として叩きつけるというか、言い換えればフリージャズ系というかね。
柴:ダモ鈴木さんのボーカルもそんな感じですよね。
宮:それに対してFaustというのは、情念ではないんですよね。 言い換えれば“音”ではなく、“音風景”を描いているんです。 つまり、人は歌謡曲を聞いて、昔の記憶が走馬灯のように蘇ったり、涙に暮れたりしますよね。 その時聞き手は“音”を聞いているのではなくて、たとえば「昔、女の子とデートしているときに店でこんな歌が流れていたなぁ」という記憶を喚起するような“音風景”を味わっているんですよ。 Faustのノイズミュージックというのは、音もあればノイズもある。 それらが混ざっている感じですね。僕なりに柴田監督の映画をノイズ・ミュージックになぞらえると、CanではなくてFaustだと思うんですよね。 今回の映画を拝見して、すごく“関西っぽいなぁ”と感じたんですが、でも柴田監督は関西出身ではないんだよね?
柴:そうなんです、神奈川県出身です。
宮:僕から監督に聞きたいことでもあるんだけど、アルケミー系のノイズ・ミュージックって、関西出身の音楽ファンなら誰でもわかるんだけど、すごく関西っぽい。 それはなぜかというと、関西って、どこに住んでるっていうことがわかるだけで、全てその人のネタが割れるんですよね。 例えば「駅の南であれば、在日だろう」とか、「同和地区だろう」とかね。
柴:そうですね、関西でも南と北と中央では、微妙に違いはありますよね。 南の方が言葉が荒っぽかったり(笑)。
宮:すべてネタが割れている中で、コミュニケーションにおける“ボケとツッコミのゲーム”がある。 東京の何も知らない者同士がボケとツッコミで話をつないで行くのとは違って、関西の場合はお互いのネタが割れているから、何でもできちゃう。 その何でもできちゃう中にノイズ・ミュージックもあると思うんですよ。
柴:普通に横にある感じですかね。
宮:だからノイズ・ミュージックを聴くとね、すごく仲がよさそうに聞こえるんですよ。 ある種の共同性を感じるんです。それでいうと、今回の映画も、関西のネタが割れている者同士の仲のよさが伝わってくるんですよ。 さっき言ったアルケミー系のノイズ・ミュージックっていうのは、あきらかにFaust系なんですよね。Canではなくて。 情念を叩きつけている風に聞こえる部分はありますけど、実際にはもっと引いてる部分があって、簡単に言うと“ボケた世界”とも言えるんですよね。“ボケ・ツッコミ”のボケね。 だってステージでウンコしてる人もいましたよね?(笑)
柴:非常階段ですね!! メンバーがライブ中におしっこしたりね。
宮:そうそう(笑)。 それはそこまで含めての表現だから、音だけ聞いてても話にならない。 ライブも含めた全体の中で始めて意味があるというか。 その意味で言えば、『堀川中立売』も個々のエピソードに意味を探すような見方をしていると、ほとんどわからない。 この映画の中にある2つの主要なストーリーと世界を、恥ずかしがりの柴田監督が、滅茶苦茶に汚していく(笑)。 そこで、その汚し方に、監督のイメージする協同性が現れていると思うんです。
柴:僕の中では、『堀川中立売』を作っている最中に「『NN-891102』と同じような感覚と態度で作ってるなぁ…」ということに気づいたんですよ。
宮:僕も今回の『堀川中立売』とデビュー作『NN-891102』は似ていると思いましたね。
柴:それは何でだろうなぁと考えてたんですけど…僕が映画を撮る前にやってたのはバンドだったんです。 難波のベアーズというライブハウスでずっと活動してて。 他の出演者の中には、ものすごく演奏の上手い人もいれば、ものすごく何もできない人もいて。出演者は誰に向かって演奏してるかといったら、数人の身内に対して、おもいっきり真剣にやってるんですよね。 確かにそこでも、おしっこする人もいたし、超絶テクニックでドラムを叩く人もいたし。 あとは少年ナイフみたいな、可愛らしい感じの人たちもいて。 あとは、すごい美人なんですけど、ガラスを割って、その上を裸足で走り回る人とか、そういうのがいて、いつもそこで遊んでたんですよ。 僕は仲間と一緒にノイズ・ジャンクバンドをやっていたんですけど。
宮:今、名前が出た少年ナイフもそうですけど、東京でやったら“バカにされちゃうんじゃないか?”と思って、彼女たちのようにはできないんだよね。
柴:あぁ、あの雰囲気はなかなか出せないですよね。
宮:歌も演奏も上手くはないし…。でも、あのヘタさがいいんだよね。
柴:味わいですよね。
宮:そうなんですよ。 関西のアルケミー系のノイズ・ミュージックっていうのも、ある種のヘタさがまとわりついていて、そこがいいんですよね。 実際、そこがいいというのは、少年ナイフやアルケミー系のアーティストがアメリカ西海岸の音楽シーンで評価されて、それが東京に逆輸入されたよね。 ボアダムスとか典型ですけど、そういう意味で言うと東京というのは、ノイズバンドとか少年ナイフのようなトラッシュ系とも呼べるバンドが、放っておいたら育ちようがない空間である。海外で発見されて、「これ面白いよね」っていう反応になるまでには、東京の人間は“海外で評価された”ということを保険にして、安全圏でそれを楽しむという手続きが必要な感じがあった。 僕は92年頃に『サブカルチャー神話解体』という連載をやっていたんですけど、その連載の中でも言及したことはあったんですよ。 柴田監督が神奈川出身だけど、関西のあの感じをわかっているのは、大阪でノイズバンドをやってたからなんですね。
柴:大阪でバンドを始める前から、大阪の音楽シーンは好きでしたね。それこそ宮台さんの連載も読んでいました。 当時は頻繁にレコード屋に通ってたんですけど、ディスクユニオンに『G-scope』っていうファンジンがあって、そこで関西のアンダーグラウンド・カルチャーの情報を得てましたね。 そこにはJOJO広重さんもいたし、山本精一さんもいたし、いろんな人が文章を寄せてたんですよ。 ボアダムスを中心としたベアーズ界隈のカルチャーを、毎回すごく楽しみに読んでた。 それが93~94年ごろでしたね。「なんじゃこら!?」となって。 そこで描かれてるような世界は、東京にはないですよね。 その当時は、関西人は全員ボアダムスなんじゃないかとまで思ってました。
宮:僕は関西的な許し合いの空間の中で生じる、ある種の滅茶苦茶というのが、やっぱり“音風景”だと思うんです。 つまり、個々の音は鳴っているんだけど、僕なんかそれを聞くと、ライブハウスとかの関西的な文脈全体を思い出すんですよ。 僕は京都出身なんですけど、やっぱり京都の風景というかノリですよね、“共同身体性”みたいな。それを思い出すんですよ。 そういう音楽の聴き方とか、映像の味わい方っていうのは、若い人はわからないかもしれないので、映画を観る前に、こういう味わい方があるんだっていう情報があってから『堀川中立売』に接触すると、今回の映画も深く味わえると思うんです。 それで、先ほどの映画『ノルウェイの森』の話になりますが、あの作品では60年代の日本の“音風景”とか“映像風景”をトラン・アン・ユン監督は理解できてないわけです。 しかもそこを誰も監督に教えていないと思うんですよね。個々のシーンやアイテムの時代考証はちゃんとしているんだけど、それらが醸し出す時代の雰囲気というのは、デタラメになっている。 音はちゃんとしてるけど、音風景がなってない。 個々の映像はちゃんとしてるんだけど、その映像の全体が指し示しているシニフィエみたいなものがデタラメなんですよ。 そういうものが、最近の日本映画にはすごく多いと思います。 僕はついこの間、ロウ・イエ監督の『スプリング・フィーバー』を見たんですけど、素晴らしかった。 今から15年ほど前の、本当に滅茶苦茶な生活を送っていた自分を思い出しましたね。 と同時にやっぱり、あのころの僕は女性とSEXしてるというよりも、街とSEXしてたんだなと思わされましたね。
柴:「野獣系でいこう」の時期ですよね?
宮:そうですね、映画では南京を舞台に街とSEXをしている連中が出てくるわけですが、でも、あと5年、10年すれば、南京を舞台にしたあの映画は撮れない。 同じように、僕が体験していた性愛というのは、現在の東京ではありえないわけですよ。なぜなら、街の風景がないから。 つまり僕が『ノルウェイの森』に抱いている不満は、そういった今はもう存在しない街の風景や風景に対する構えみたいなものが何だったのか、ということを監督が理解していないという点です。 個々の映像の質は高いけど、全体が指し示しているものが60年代とは程遠いわけですよ。
柴:それは、特に東京だとか新宿の風景ですか?
宮:そう!
柴:僕は、当時のことはガイラさんこと小水一男さんから「フリーSEXの嵐だった」って話を聞いたんです。 もうみんな寝る間を惜しんで新宿に繰り出していたって聞きました。
宮:そうそう。 『ノルウェイの森』でも当時の状況が描かれてるんだけど、村上春樹があの小説の中で何を描きたかったかというと、それは個々の性愛のエピソードではなくて、“あの時だったから、それがあり得た”ということなんですよ。 “あの時”というのは、別に自分の青春時代ということではなくて、簡単に言うと“街”なんですよね。 だから例えば『ノルウェイの森』には、学園紛争にコミットできない主人公が出てきますけど、でも学園紛争がある時代だから、性愛ができている。 でもこの映画を観ればわかるけど、学園紛争と主人公が、まったく無関連になっちゃてる。 この話から、柴田監督に伝えたいことは、柴田監督には劇映画を撮ってほしいんですよ。 なぜかというと、柴田監督のセンスというのは、個々の映像ではなくて、映像の集合体が指し示す、“音風景”に相当するような“映像風景”とでもいうのかな、そこを描くのが得意な監督だと思うからなんです。 そういう監督が、特に古い時代を描いたような映画を作らないとダメだと思います。 今の韓国・台湾・中国の若い映画監督は、熱心に日本映画を研究していて、日本の古い映画が指し示している、映像が含意する“風景”みたいなものを、すごく摂取していると思いますよ。 それでいうと、『堀川中立売』からは、すごく京都の匂いを感じました。
柴:うわぁーよかった! ホッとしました。
宮:そういうセンスを持っている人が、例えばプロデューサーに「これを撮れ」とか言われて映画を撮るというのは、すごくいいと思うんですよ。興味ないですか?
柴:「ノイズ」って日本語にすると「雑音」って書きますけど、やっぱりサウンド。音景色ですよね。空間を立体的にとらえる。 映画はそういうことを表現するものだと思うんですよ。 僕が映画をやりたいと感じた一番の理由はそこです。 それを突き詰めていきたいですね。
宮:非常に定型的な劇映画の枠組みの中で、柴田監督が映画を作ると、実は柴田監督の持ってる資質というのが、すごく現れてくるんじゃないかと思うんですよね。 むしろ別の方が書いた脚本を柴田監督が演出すると、柴田監督にしか演出できない何かが出てくるんじゃないかな、と思います。 それがすごく見てみたい。
柴:いや、やってみたいですね、原作ものとか。
宮:最近の日本映画が相対的な意味でダメになってきてると思うのは、個々のウェルメイドさに拘泥しすぎちゃってて、全体が何を指し示しているのかということがよくわかってない。それがすごくもどかしいんです。 ただ、『堀川中立売』に関して言うと、関西出身者と関東出身者で計測すると、理解度はかなり違うと思う。 やっぱり関西出身者には、比較的受け入れやすいんじゃないですかね。
柴:あぁ、わかりますね。 今回出演してくれた「きらら」役の禱キララが、完成後の試写に来てくれたんですよ。 それで試写のあとにポツリと「なんで私がデカくなんねん」と呟いて(笑)。 プロデューサーに「お前すごいな! 10歳の子に突っ込まれてるぞ!普通そんなことないで!」って。 僕は神奈川県民ですけど、関西の人間にそうやって褒められて嬉しかったんですね。 東京では、そんな子供に突っ込まれる映画撮りませんからね。 でもさっきも宮台さんがおっしゃったとおり、ある程度、最初に映画の世界観を掴んでもらえるカンニングペーパー的なものがあるといいかもしれないですね。
宮:そこは関東人には橋渡ししないと難しい部分はありますよね。
柴:宮台さんはこれからも橋渡しをしていただけますか?
宮:僕はいつでもそのつもりですよ。
柴:ありがとうございます!
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